城崎温泉街がものすごいことになっていた(2)
こんにちはゲルです
今回は前の記事の続き、城崎温泉街がいかに変化してきたかについてです。
ちなみにこれから書く内容は主にこれから紹介する施設で見つけた文献の内容をざっと
まとめる形となります。
それが上の本、これがものすごく面白い内容だったのですが...
惜しい、非売品だ
という訳でどのように城崎温泉街が変化していったのかざっと説明していきます。
1,以前の城崎
以前の城崎、筆者が幼少のとき以前の事ですね。このころは国内の客がメインで会社の
社員旅行といった大口の客がいたそうで(バブル崩壊前)繁華街のような様だったが街
は川や裏の路地は汚かったそうです。実際筆者も城崎に流れる川に自転車が突っ込んで
いるのを見た記憶があります。バブル崩壊にリーマンショックを経て城崎は活気を失っ
ていました。
この文献においては街にあるよいものを資産、逆に悪いものを死産と呼んで
いました。
2,改変期
城崎温泉が再び元気になるには上の死産を減らし資産を増やすことが課題でした。
ここにおける資産は
・城崎の町並み、温泉
・海山の幸
といったことでしたが問題の死産は
・汚い路地裏と川
・景観を壊す建物
・路線バスが交通の邪魔 etc...
といった問題が存在していました。これらの問題を解決するのは町全体での計画と活動
が必要となるのですが、この中心にいたのが豊岡市長(けっこうやり手)と城崎の宿
『西村屋招月庭』の館長(旅館業界の長らしい)
が中心となり城崎の死産にたいして対策が行われていったそうです。さらに街の建物で
おしゃれになっている物も増えておりその中心となっているのは先の文献があった
城崎国際アートセンター(外観を撮り忘れました)です。プロの役者が合宿に訪れるな
ど城崎のアートの中心として役割を発揮しています。なお余談ですが…
NOMOベースボールクラブの事務所も同じ建物の中にあります。
このように城崎温泉街をより良くし資産を増やす活動が続いています個人的には街の中
を時間制限つけて車両進入禁止にしたら良いのではないか?と思ったりしました。
そんな城崎に行ってみてはどうですか?温泉!アート!食べ物!その他!Wi-fi完備!
行って損はないですよ。
ではまた
おわり
前回記事です